tomemo memo

雑記帳

いじめっ子にも家族はいるはずだが

リンクを貼るとまたいろいろマウントされたりしそうなので、こっそりと記録。

いじめに関する話では、なぜか、ブコメする人の中にいじめっ子は一人もいないことになってしまうわけだが、当然のことながら、いじめっ子は存在し、そして、そのいじめっ子にも家族や親戚が存在し、血も繋がっているわけなのでそれなりに性格も似たような人の割合が多かったりして、結構、ゴタゴタした関係性なんだろうな、っていうのは容易に想像がつく。

で、そういう家族や親戚の元に生まれた人のうち、気の弱い人は、家族や親戚内でいじめの対象になってしまう確率が高いだろうな、というのも容易に想像がつく。

そういう人がラモスに救われたっていう話を聞いた時、何を感じるか、と考えた場合、むしろ、絶望感の方を抱くんじゃないかな、と思った。なぜなら、小学校のときのいじめは、小学校を卒業すればなくなるが、家族や親戚からのいじめは一生続くし、縁でも切らない限り、なくなることはないから。

そう考えると、ラモスの話は一見、いい話のようで、一部の人にとっては絶望感、疎外感を植え付けてしまう話でもあるのかな、と思った。

別にラモスがいい悪いっていう話ではなく、そういう一面もまた存在する話なのかな、と。

そんなわけで上記のような現象もまた、一種のいじめなんだろうな、と。ほとんどの人が気づくわけもなく、そして、だからこそ、各自にいじめっ子の自覚がないわけなんだけれども。コインの裏と表、みたいな話。