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雑記帳

この手の議論はなぜか「0か1か」になってしまう

「ホルマリン漬けの子」少年の衝撃 731部隊で見習い:朝日新聞デジタル

こんなもの、殺し合いをしている戦争状態の中では、大なり小なり、技術的に可能であればどこでもやっていることだと思うんだけど、どうして、この手の議論になると、「日本がやったかやらなかったのか」とか「認めるべき」とかいう話になるのかよくわからない。

この手の議論には、もう少し、理系頭の人が入る必要があるんじゃないかな、と昔から思っている。日本がやったか、とか、中国がいいとか悪いとか、理系頭からすると本当にどうでもいい。

理系頭で思考すると、0 か 0.01 か見たいな議論はほぼ不毛なんですよね。肝心なことは実質的にどうであったか、相対的にどうであったか、本質的・重要な論点はどこか、将来、どう活かせるか等といった点。

一方、こういった歴史的なことって、いつどこで何があったか、みたいな断片的な情報の羅列である場合が多く、だからなんなんだ、っていう感じでなかなか興味がもてない。しかも、それらが事実であるかどうかはまったくもって確証はない。そんな情報から論理構成し、話を作り上げる気には私はならない。

そんなわけで、この手の言論は「ふ〜ん、そうなんだ」とただただ聞き入るしかないし、真偽の判断のしようもない。